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軍装品・軍刀・勲章全般買取致します

日の丸寄せ書の買取実績

 
【茨城県水戸市】旧日本軍 寄せ書き日の丸を買取しました

※買取商品の状態によって価格は変わりますので詳しくはお問い合わせください。

掲載されている買取実績についてご質問などありましたら、下記までお問い合わせください。

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営業時間. 9:00 ~ 18:00

遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
生前大事にされていた形見の品など、無暗に手を付けるのは故人に対し申し訳ないと、処分するにもなかなか手が進まない場合もあるでしょう。

浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

そんな悩みの種の「残地物」を浪漫ドロップでは丁寧に選別・査定させて頂き価値を見出し高価買取しております。
旧家・古民家、蔵の残地物でお困りの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
家屋や蔵を解体するご予定がありましたら、何も処分しない状態で取り壊す前にぜひ、浪漫ドロップへご連絡下さいませ。

勲章を知る~日の丸寄せ書~

家族・仲間・故郷偲ぶ出征祝儀品

日の丸寄せ書きとは、送別・壮行の集まりで、日の丸の旗、すなわち我が国の国旗・日章旗(にっしょうき)に、見送る人々が思いおもいの一言等を書き記し、旅立つ人に贈った日本独特の風習・記念品です。特に支那事変が始まった昭和12(1937)年以降に出征者向けに盛んになったとされ、現在でもスポーツ遠征等の際に用いられています。ここでは、支那事変および大東亜戦争が行われた昭和12年~昭和20年の敗戦までの間に出征兵士向けに作られたものを解説します。
出征者向けに民間で作られた日の丸寄せ書きは、様々な仕立て・書式が見られました。一般的だったのは、既製の日章旗を用いたもので、左右どちらかの上下の角に紐やその補強が付く、絹や木綿製等のものです。大きいものは幅1メートルを超えるものがあり、壮行の席や記念撮影では、旗竿にくくって掲げたり、大きいものを細く折って襷(たすき)としたりされました。しかし、戦争末期には、物資不足や配給制の影響により、有り合わせの布での手作りや紙製のものも作られ、大きさもコンパクトサイズに。
寄せ書きの構成や内容にも様々なものがあり、一般的なものは上か右側に大きく「武運長久」「必勝」「祝出征」等の題字や出征者の氏名、そして日の丸の周囲に放射状で見送り者の署名や激励文が記されました。また、験(げん)を担いで「千里を還る」とされる虎や達磨の絵が入れられたり、弾除け利益で有名な神社や氏神の神印が押されたりもします。
寄せ書きの作成及び署名者は、学校や会社・工場等の職場等の組織が多く、その他では町内や家族・近親者に、婚約者等の個人もありました。また、地域に縁のある、議員等の著名人にあらかじめ署名を依頼して大量に用意されて配られたとみられるものもあります。
贈られた出征者は、主に一般から応召された庶民や学生等の「兵卒(へいそつ)」でした。将校等の職業軍人はいないとされますが、年若い尉官辺りまでは所持していた可能性も指摘されています。また、出征者の名が入っていない寄せ書きも少なからず存在します。
以上のようにして用意された日の丸寄せ書きは、駅頭での壮行会等で披露され、集まった人々と共に、記念撮影にもおさめられました。そして、出征者はそれを折りたたむなどして持参・入営し、やがて内外での軍務に就き、戦地では家族や仲間・故郷を偲ぶ縁(よすが)や御守りとして、常に身近に備えたのです。

起源と歴史

日の丸寄せ書きの習慣がいつ頃始まったのかは定かではありません。日章旗が戦意鼓舞の象徴と化したのは明治後半(19世紀末~20世紀初頭)の日清・日露戦争頃なので、それ以降に発生したと考えられます。活発な流行が確認できるのは日中戦争以降なので、昭和初期の満州事変(1931年)以降に定着したと思われます。
ともかく、支那事変勃発時には旗屋が大変な忙しさとなって件数も増え、日本中に日の丸が溢れる状況と化したようです。しかし、大東亜戦争が始まる昭和16(1941)年頃から、動員秘匿のため日の丸の露出が自粛させられ、表立った壮行会等もしづらくなり、やがて戦局が悪化すると、旗の入手も困難になりました。それでも、代用の布等で作られ出征者に贈られますが、同20年の敗戦により終焉を迎えます。
無用となった日の丸寄せ書きは、出征者の復員と共に持ち帰られるか、除隊地で破棄・譲渡・没収等されます。一方、戦地に遺品として残されたそれは、軍旗(ぐんき)と勘違いした連合軍将兵により、戦利品・記念品としてそれぞれの母国に持ち帰られました。

戦時の想い秘める貴重な遺品次代へ

勇ましい言葉で飾られた日の丸寄せ書き。しかし、その裏には生還を願う関係各者の切実な想いや、それを支えに苦難に臨んだ出征者の本音が秘められていました。また、遺骨の回収すらままならない激戦地において個人を特定できる貴重な遺品でもあります。
戦後、戦利品・軍装品として売買が盛んに行なわれた海外でも、近年はその事実を知り、遺族への返還の動きが活発化しています。我々日本人も、その秘められた歴史を知り、国内に残されたもの共々、大切に次代へ伝えていきたいものです。

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