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古書・紙物全般買取致します

版画の買取実績

 
古い家屋の箪笥から見つけた古い版画
 
実家の片付けで出てきた古道具の北斎画譜(和綴本)
 
遺品整理で見つけた古い版画
 
買取希望の箪笥の中にあった揚州周延の版画
 
買取予定の古い箪笥の中にあった日露戦争の版画6枚セット
 
遺品整理で出てきた骨董品の日露戦争版画
 
古美術 葛飾北斎・富嶽三十六景・木版画
 
骨董・古道具 日露戦争・版画

※買取商品の状態によって価格は変わりますので詳しくはお問い合わせください。

掲載されている買取実績についてご質問などありましたら、下記までお問い合わせください。

TEL . 0120-766-299
MAIL . contact@romandrop.jp
営業時間. 9:00 ~ 18:00

遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
生前大事にされていた形見の品など、無暗に手を付けるのは故人に対し申し訳ないと、処分するにもなかなか手が進まない場合もあるでしょう。

浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

そんな悩みの種の「残地物」を浪漫ドロップでは丁寧に選別・査定させて頂き価値を見出し高価買取しております。
旧家・古民家、蔵の残地物でお困りの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
家屋や蔵を解体するご予定がありましたら、何も処分しない状態で取り壊す前にぜひ、浪漫ドロップへご連絡下さいませ。

古書・紙物を知る~版画(はんが)~

ルネサンス期の版画

版画の歴史が1400年代から始まって間もなく、1455年に世界で革命的な出来事が起こります。それはドイツの金細工師ヨハネス・グーテンベルグによる活版の印刷技術が発明です。 この発明はその当時の製紙法の流布とも伴いながら新しい情報伝達の方法として世に大きな革命を起こします。この当時は印刷物には挿絵はなく縁取りの飾りなどもすべて手書きで書かれていましたが、すぐに印刷物には版画の装飾が施されるようになり、1400年末頃には挿絵入りの本が作られるようになりました。当時の挿絵は木版であり、金属製の活版に木版を嵌め込んで一枚の凸版を作っていましたが、それを使って挿絵入りの本やその他の印刷物を作ったのです。

その頃イタリアでは1470年~80年代にかけてマンティーニャなどの作家たちが、版画の凹版技法のひとつであるエングレービングの技法を用いて版画を制作していました。ただイタリアではそれほど多くの版画が作られなかったこともあり、絵の複製として著名な画家たちの作品だけを制作されただけで、たくさんの流通は起こりませんでした。その印刷技術の発達はどんどん広がっていき1400年代後半から1500年代前半にかけてドイツの画家たちは版画の制作を行い始めるようになります。そのドイツの画家たちの中でも最も高名な版画家として知られるアルブレヒト・デュラーは多くの版画作品を生み出します。当時の油絵などの絵画は注文による制作がほとんどでしたが、版画は画家たちが自主的に制作することが多かったため注文制作に比べて多くの収入を得ることができるというメリットがありました。それもあったので世の中により多くの版画が流通したと言えるかもしれません。

バロック期の版画

1500年代というのはエッチングの第一世代と言われていました。木版画のエングレーブングでトップとして君臨していたのはドイツです。しかし1600年代に入るとフランス、イタリア、オランダ、などがエッチングの中心となっていきます。 フランスのナンシーを中心とした画家たちの一人、ジャック・ベランジュ、ジャック・カロはマニエリスム美術の中に位置していたこともあり、軽くて細い線や点を加えて繊細なタッチで宮廷の人々を描いていきました。 そしてジャック・カロは宮廷祭の祝祭劇のパレードの記録、悲惨な戦争の冷徹な記録、旅芸人、乞食に至るまでレパートリーはかなり幅広く、これらの多種に亘るテーマで後世も描かれ、ジャック・カロは版画の先駆け的存在になっていきました。カロの線は太い線と細い線が繰り返されます。そしてビュランの縞彫りを思わせるエッチングで、エングレービングのような効果を得ようとしたのです。またエッチング特有の軽やかな線の動き、腐食時間の調整によって作り出される、微妙なタッチで描かれる明暗の階層や線の強弱もカロによって確立されたと言えるでしょう。その技術上の工夫にはアブラアム・ボスが重要な役割を果たします。1645年に版画家だったアブラアム・ボスは世界で初めて銅版画の技法書の出版を行います。そしてこの技術書は19世紀になるまで基本的には全く変わることなく面綿と受け継がれていきました。 17世紀のオランダの有名な画家というとルーベンスとレンブラントですが、ルーベンスは自らが気に入った版画家を雇い、自らの作品を版画化させていきました。一方のレンブラントは自ら版画を制作していき300点にも及ぶエッチングを残します。そして彼は「夜警」をはじめとして数多くの傑作を世に残し、また同時に300点にも及ぶエッチングを残したのです。腐食方法の工夫に加えてドライポイントやビュランの線のエッチングに加味することで繊細なニュアンスの創造、インクのふき取り加減がもたらす効果の探求など、彼がエッチングの分野で成し遂げた業績は18世紀に至るまで多大な影響を与えました。

ロココ期の版画

18世紀になると「ロココ式」という新たな美術の世界が流行り出します。そして絵画の分野ではワトー、ブーシェ、ブラゴナールといった画家たちの絵画やデッサンが盛んに版画化されていきます。その際、堅苦しいビュランの線よりは軽やかなデッサンの表現に適した線のほうが好まれるようになります。またこれらの画家たちが描いたチョーク画や淡彩画、パステル画などを版画で表現しようとする試みが試されるようになり、多くの人々が多色刷りの銅版画の技術の邁進に力を注ぐようになりました。 これにより18世紀は銅版画技法の多様化の時代に突入していきます。そして18世紀末の革命に向かう時代という事もあり、美術を収集する新たな階層が台頭してきました。この新たに現れた階層は王侯貴族が好んだ流行作家達の油彩画は手に入らないまでも、デザインだけなら十分に購入することが可能でした。またそれが無理なら流行作家達の油彩画を版画によって製作されたものを入手しようとしました。そしてこの時代になるとセピア色のインクを薄く水に溶いて描かれる淡彩画に似せたアクアチント技法が登場します。最初にアクアチントを制作したのはジャン、バティスト。ただ同時期にジャン・ソワール・フランソワやジャン・クロード・リシャール達もアクアチントと同様な技法で版画制作を行っているため、どちらが先にアクアチントを制作したかは定かではありません。 技法の工夫は18世紀中ごろから18世紀後半まで益々多様化が進んでいきました。そして銅版画多色刷りの手の込んだ作品を制作する人が現れました。最初に多色刷りメゾチントを考案したのがジャン・クリフトフ・ル・ブロンでした。ル・ブロンはドイツ生まれですがロンドン、パリと移り住みながら活動した人物です。 ル・ブロンはニュートンの三原色の理論に基づき三版多色刷りを試みた人物です。その後は黒色の版を追加して四版多色刷りのメゾチントを考案しました。ただ銅板を使って複数の版を作り多色刷りを行うことはあまりにも手間暇がかかるため、19世紀になると廃れていきます。そしてその後の多色刷りの主役はメゾチントからリトグラフに代わっていきました。

現在も発展していく版画技術

ここに記してきたようにして版画の歴史は造られてきましたが、この後もどんどん版画技法は進化を続けながら素晴らしい作品を生んでいくと考えられます。そして版画技術は現在に至っても尚、技術向上は続いていくでしょう。

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