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セーヴル(Sevres)の買取実績

 
【強化買取】セーヴル(Sevres)の強化買い取りを行ってい…

※買取商品の状態によって価格は変わりますので詳しくはお問い合わせください。

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遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
生前大事にされていた形見の品など、無暗に手を付けるのは故人に対し申し訳ないと、処分するにもなかなか手が進まない場合もあるでしょう。

浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

そんな悩みの種の「残地物」を浪漫ドロップでは丁寧に選別・査定させて頂き価値を見出し高価買取しております。
旧家・古民家、蔵の残地物でお困りの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
家屋や蔵を解体するご予定がありましたら、何も処分しない状態で取り壊す前にぜひ、浪漫ドロップへご連絡下さいませ。

洋食器を知る~ セーヴル(Severs)~


絢爛豪華な王朝の磁器

セーヴル(Severs)とは、フランスの首都パリ西郊のセーヴル産の磁器で、18世紀半ばにブルボン王朝の庇護下に開窯し、今も生産が続けられています。「王者の青(ブリュ・ド・ロワ、セーヴル・ブルー)」や「ローズ・ポンパドゥール」と呼ばれる瑠璃色や薔薇色等の地に、金彩や繊細優美な窓絵等を加えた絢爛豪華な作風が特徴で、同国を代表する焼物として知られています。
ヨーロッパの王侯貴族にもてはやされ、金銀に勝るとされた中国や日本の染付(そめつけ)や色絵磁器。オランダによるその独占販売に対抗するため、18世紀初頭に各国で始められた磁器製造がその起源で、パリ郊外のシャンティイ窯による、日本の色絵磁器「柿右衛門(かきえもん)」の模造が原型とされます。やがて欧州他窯と同じく、東洋の模倣から、当時流行したロココ式の影響を受けた独自進化を始め、ロココの繊細さやアシンメトリー(非対称)を装飾・器形に取り込んだ独自の作風を作り上げました。
そして、そのセーヴル窯の国営化と発展に寄与したのが、時の国王ルイ15世とその寵姫ポンパドゥール夫人。彼らの洗練された美意識とそれを形にせんとする情熱は、窓絵のあるロマンティックで特徴的な作風を産み、ドイツ・マイセン窯に代わって欧州の主流様式となり、各国の陶磁製造に新風を吹き込みました。その後フランス革命や戦争による危機も迎えますが、その都度復活を果たし、フランスを始め世界の人々を魅了し続けています。

セーヴル磁器の歴史
源流シャンティイ窯

17世紀、薄く美しい東洋の硬質磁器が、ヨーロッパの王侯貴族の間で大変な人気を博していました。やがて、その模造を目指す動きが現れ、遂にザクセン(現ドイツ内)のアウグスト侯の命を受けたフリードリッヒ・ベトガーが1709年にその焼成に成功します。欧州最初の硬質磁器窯マイセンの始まりです。ベトガーの成功は各国の磁器研究に拍車をかけ、フランスでは1727年にシャンティイ城主のコンデ公ルイ4世が領内に窯を興し、柿右衛門を模した良質の軟質磁器を作りました。

礎ヴァンセンヌ窯

そして、シャンティイで学んだジルとロベールのデュポア兄弟が、財務総監の弟オリー・ド・フルビー公の後押しとルイ15世の支援を受け、1738年にパリ東郊のヴァンセンヌ城内で磁器製造を開始。しかし上手くいかず、1741年に解任され、代わりに陶工フランソワ・グラヴァンが職人達と尽力し1745年頃から成果を上げ始めました。
同年には多額の出資を受けて製造を本格化させ、美術愛好家で有力者ジャン・マッコールを会計監査官に迎えて飛躍的に発展します。また、化学者ジャン・エロ―や金工家ジャン・C・デュプレシ、画家ジャン・ジャック・バシュリエらに各部門の指導を任せ、金彩の秘法も獲得。そしてエロ―らにより1749年に「王者の青」、1752年に「トルコ青」といった代表的釉薬が開発されるなど、のちのセーヴルの礎(いしづえ)が作られました。

移転、王室御用窯へ

しかし、窯は財政危機が続き、新たな出資で再建されますが、多くの資金を負担していたルイ15世により1753年に「王立磁器製作所」とされました。また、1756年にはパリとベルサイユ宮殿を結ぶ「王者の道」途上のセーヴルへと移転されます。それらには磁器に高い関心を示したポンパドゥール夫人の提案が作用したとされます。
移転後は彫刻家ファルコネが意匠主任となり、画家ブーシェらも参画してフランス史上最高の軟質磁器を生み、各国に影響を与えました。そして1760年代後半にフランス中部のリモージュでカオリンが発見されると、セーヴルでも1768年から硬質磁器の製造が始まりました。

革命による破壊と復興

しかし、1789年に勃発したフランス革命により破壊と略奪を受け廃窯の危機に瀕します。やがて「国立セーヴル磁器製作所」として再興。1800年にナポレオン統領政府から工場長に任じられた化学者アレクサンドル・ブロンニャールにより硬磁を主とした体制となり、新たな成長を遂げ始めました。1824年にはブロンニャールにより「セーヴル国立陶磁博物館」も開かれ、19世紀後半以降は装飾を主とした技法探求が行なわれ、外部芸術家を招いた斬新な意匠設計等の努力も続けられつつ今日に至っています。

セーヴルの技法

王室所有のセーヴル焼は、王命により宮殿・離宮の装飾・調度品や、外国への贈り物として作られていた為、大変高級な造りとなっていました。その伝統は今も受け継がれ、主として特別な儀式等の為に外国や国家から注文される精良の品を製造しています。
製作は注文毎にデザインを起こし、轆轤(ろくろ)でサンプルを作ったのちに型が作られるという工程が採られます。絵付は、紙に図案を描いて輪郭を切り抜き、それを器肌に当てて木炭粉で下絵を写し、筆で施釉着色。金彩は銅板に彫られた図案に金粉液を塗って紙に転写し、それを磁器肌に転写して施されます。しかし、絵付や金彩は全て手描きで行なわれることもあります。透彫は、鋳型の印に従い器地を切り抜く方法。また、人形や造花のような立体装飾は、別で作られたものを組み合わせ、接合部の溝を粘土で充填しつつ本体に取り付け、糊や継ぎ目が見えないよう、精巧に加工されます。19世紀中期に開発されたカメオ調の塗土装飾技法「パテ・シュール・パテ」や、無施釉で大理石のような質感を表わすビスキュイも特筆される技術です。

器種・様式・意匠

セーヴルでは、これまで実に多種多彩な製品が作られてきました。それは、茶器や酒器を始め、食器・壺・花瓶等に、人形・造花・時計等やチェスト・テーブル等の室内装飾・家具調度品にまで及びました。
その様式は、写実・浪漫的なロココ調から、金彩まばゆいナポレオン期のアンピール(皇帝)様式に至り、19世紀末には結晶釉や釉下彩(ゆうかさい)による幻想的なアールヌーボー調も試みられます。
意匠は、ロココ的な繊細稠密な草花模様や写実的に描かれた窓絵の人物・風景等のほか、透彫にみられる幾何学的な中東のアラベスク柄や、竹の注ぎ口等にみられる東洋的なもの、壺の形状等にみられる古代ギリシャ風に、ヒエログリフ(神聖文字)等を用いたエジプト風等や、有機的抽象文様のアールヌーボー調等があります。

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