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指揮刀・儀礼刀の買取実績

 
骨董 古い旧日本海軍・儀礼長剣・刀緒付き

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遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
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浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

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美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
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軍刀を知る~指揮刀・儀礼刀~

演習指揮・式典等の為の平時用軍用刀剣

指揮刀とは、指揮官が部隊を指揮する為に用いる軍用刀剣の一種で、特に近代以降のものを指します。また、儀礼刀とは内地・外地における平時の式典等で用いられる軍刀で、これも特に近代以降のものを指します。いずれも近代以降、欧米で発達した洋式刀剣ですが、ここでは明治から昭和の敗戦に至るまでの旧大日本帝国陸海軍のものについて解説します。
指揮刀は、指揮官である将校や准士官が佩用(はいよう)し、陸海軍共その基本形は、反りのある片刃や、鍔(つば)から柄頭(つかがしら)にのびる護拳(ガード)が特徴的な騎兵由来の洋刀、サーベル型でした。駐爪(ちゅうそう。刀身留め)が省略されていることが多い以外、特に専用の制式・形式はなく、陸軍軍刀や海軍長剣の外装に模造刀身を仕込んだ体裁となっていました。よって、戦地では正規・真剣の軍刀を用い、演習や儀礼等は指揮刀を使うという用法が一般的だったようです。しかし、准士官以上はそれらを自費で揃えなければならず、任官直後の若手などは経済的負担が大きい為、戦時に刃付けが出来る刀身を有した兼用刀(指揮刀型軍刀)も作られました。
儀礼刀は、陸海の軍人が宮中参内等の正装や礼装を要する内外の式典で佩用する洋刀で、陸軍ではエペーと呼ばれる細身の直刀である「正剣」、海軍ではサーベル式の「長剣」や「短剣」が用いられ、基本的にいずれも刀身は真剣でした。服制により佩帯の場面や方法等が規定されており、また指揮刀や他の軍刀等と同じく、装着用の剣帯(けんたい)や脱落防止の刀緒(とうしょ。絡め紐)等の付属品も定められていました。

旧陸軍指揮刀の歴史

陸軍で指揮刀が使用され始めたのは、初めて軍刀が制式化された明治8(1876)年か、旧型の洋式軍刀が確立された同19年以降のことかと思われます。8年制のものは、磨鉄(まてつ)鞘が基本で、将官は金具金色、柄は鼈甲、背金(せがね)等に桜唐草の彫刻があり、歩兵科佐官は柄が黒水牛角(参謀科白)、同尉官は桜唐草なし、他の佐官は柄部が簡略的で、背金に桜唐草があるも尉官にありませんでした。19年制もあまり変わらず、騎兵以外の佐尉官用が統一され、准士官用は将校用と同形・無地で、騎兵佐尉官用は鍔に透かしがあり、背金の桜唐草の量で佐尉が区別されたほか、大きめの鍔で無地の下副官用もありました。この19年制軍刀が、陸軍指揮刀の主流として昭和の敗戦まで用いられます。なお、私費注文品の為、年代や製造元等で細部に違いがあり、背金に家紋を入れることもありました。

旧海軍指揮刀の歴史

海軍では基本的に艦内勤務の為、昭和に日本刀式軍刀が制定されるまで軍刀がなく、礼装用の長剣(儀礼長剣)や短刀が指揮刀とされます。最初期の8年制(明治6年予告)のそれは、金具金色、柄は白鮫皮に金線巻、護拳に波模様の彫刻、鞘黒革に胴輪2個と鐺(こじり。石突)が付き、将官と佐尉官で異なる桜花散らしの彫刻が施されました。海兵隊士官用は柄が黒鮫皮で護拳に桜葉模様、鞘は磨鉄です(同9年廃止)。また、少尉補が用いた短剣は金具金色、柄頭に傾きがあり、柄が白鮫皮に金線巻で背金付き、鞘は黒革に胴輪が左右1対と鐺が付き、錨や桜の彫刻がありました。そして、同16年制で長剣柄部の形状等が変更され、金具の模様で将官と佐尉官が区別。将校や相当官の短剣佩用も始まり、長剣刀身の日本刀化や柄の両手握り化も増えて指揮刀の体裁が確立されます。同29年には長剣の装飾等が変更され、鞘金具が無地の准士官用も制定。大正3(1914)年には将校と兵曹長、同8年に准士官用の長剣外装が統一され、短剣も同3年に全外装が統一されました。

旧陸軍儀礼刀の歴史

陸軍の儀礼刀である正剣は明治8年に初めて制定されます。フランス陸軍に倣い、正服(正装・大礼服)着用時にエペー型のそれを佩用しました。正剣は金具が金色、鞘黒色に佩鐶(はいかん)2個と鐺(こじり。石突)付きが基本で、将官用は柄が鼈甲金線巻、護拳・柄頭に桜唐草と蜻蛉の彫刻、鍔に旭日と階級用の銀星が付き、佐官は柄が黒水牛角(参謀科白)で銀星なし、尉官は更に鐺に桜唐草がないものでした。明治19年には陸軍のドイツ式軍制への変更に伴い、鍔や旭日の仕上げ、鞘の旭章位置が変更され、将官用の銀星数も減ります。そして、同45年の服制改正で正剣は廃止され、軍刀がその役割を兼ねました。

旧海軍儀礼刀の歴史と軍刀類の終焉

海軍の儀礼刀は、その指揮刀と同じく、長剣と短剣が用いられます。沿革等は海軍指揮刀の項目通りで、昭和の敗戦に至るまで生産・使用されました。
昭和16(1941)年から大東亜戦争が始まり、やがて戦局が悪化すると陸海軍の軍刀や剣類の質も低下。そして敗戦を迎え、旧陸海軍とその指揮刀・儀礼刀も終焉を迎えました。

その他の指揮刀・儀礼刀

大正7(1918)年、平安武人・藤原秀郷の太刀を模した豪華な元帥刀(元帥佩刀)が陸海軍で定められました。柄と鞘に金銀の装飾や菊の紋章があり、刀緒や刀帯も専用のものが用意され、陸海軍大将で元帥府に列せられた人物に対して天皇より下賜されました。
また、天皇にも明治13年に陸軍将官用を豪華にしたエペー型の正剣が制定されます。大正2年には菊章入りでサーベル式の陸軍軍刀と海軍長剣や海軍短剣も定められ、同8年には元帥刀を豪華にした大元帥佩刀も制定。そして昭和9年には日本刀式軍刀も制定されました。

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