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銃剣の買取実績

 
【強化買取】銃剣の強化買取を行っています。

※買取商品の状態によって価格は変わりますので詳しくはお問い合わせください。

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遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
生前大事にされていた形見の品など、無暗に手を付けるのは故人に対し申し訳ないと、処分するにもなかなか手が進まない場合もあるでしょう。

浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

そんな悩みの種の「残地物」を浪漫ドロップでは丁寧に選別・査定させて頂き価値を見出し高価買取しております。
旧家・古民家、蔵の残地物でお困りの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
家屋や蔵を解体するご予定がありましたら、何も処分しない状態で取り壊す前にぜひ、浪漫ドロップへご連絡下さいませ。

軍刀を知る~銃剣(じゅうけん)~

近代陸戦兵の象徴的装備

銃剣とは、小銃の先に装着または収納可能な刀剣のことで、17世紀半ばにフランスで発案され、近代以降、列強各国等の騎兵・歩兵の装備として普及・発達しました。日本では江戸幕府や各藩が幕末導入した輸入品が起源とされ、明治以降は国軍の装備として統一され、国産化を経て敗戦で旧軍が消滅するまで使用・改変が続けられました。 第二次世界大戦頃から短機関銃や突撃銃等の小火器の発達により衰退しますが、小型・多機能化されたものが現在でも自衛隊や各国軍等で装備されています。かつて近代陸戦兵士の象徴的装備として重用された銃剣。ここでは旧大日本帝国のものについて解説します。  銃剣はライフル式等の歩兵銃に装着され、射撃後の敵騎兵の突撃に対処したり、逆に騎兵銃に装備して騎兵突撃に使用されたりしました。また、敵陣地の近接制圧や、軍刀や銃を持たない兵卒等の短刀代わりとしても使用されます。つまり、銃剣は、銃による中~長距離戦闘から、剣による接近戦・白兵戦の、どちらにも対応できる武器という事です。 西洋では刺突を考慮した両刃が主流でしたが、日本では薙刀(なぎなた)的な斬撃が考慮された片刃が主流となります。その造りは、短剣に似たもので、細い鍔(つば)の片側(上部)に銃身を通す穴があり、そこと柄頭(つかがしら)の溝を利用して銃に固定し、外す場合は溝横のボタンを押して固定を解除するというものでした。そして、取り外し後の不要時は腰につけた革製の剣差(けんさし)に通した専用の鞘に収納・固定されます。

大日本帝国での銃剣導入

幕末に幕府や各藩が輸入した洋式銃は16万挺(ちょう)に達し、維新後に新政府の武器庫に集められました。そして、フランス人教官による取捨・点検を経て(その際、良品各部に菊紋を刻印)、明治4(1871)年に創設された鎮台(ちんだい。国軍)に配布されます。その為、当初はイギリス製のエンフィールド銃やスナイドル銃等の様々な銃が使用され、その銃剣形状も剣先の曲がったヤタガン式や錐状の刺突専用型等の様々がありました。

初の国産独自の村田式銃剣3種

明治13年には、初めて国産独自の銃剣が現れます。国産銃、十三年式村田銃と共に制式化されたもので、全長71センチという長さと鍔の片方がフック状に湾曲していたこと、先端部が両刃、黒革の鞘が付き、銃身の右側に刃を水平にして取り付けるという特徴を有しました。そして、同18年には長さが58センチに短縮された十八年式銃剣、同22年には37センチに短縮されて銃身下で刃を垂直に装着できる二十二年式銃剣が定められます。

帝国陸軍主力銃剣の確立

明治30年、村田銃の後継として三十年式歩兵銃が採用され、その銃剣として三十年式銃剣が定められました。基本形状は村田式と同様ながらも、全長51センチ、片刃刀身で鉄鞘となり、様々な後継銃にも対応し、昭和の敗戦に至るまでの主力銃剣として用いられます。 長期間使用された為、そのバリエーションは多く、工廠・産地等も関連して、細部に至る無数の差異が存在しました。一般的に、柄や鞘の鐺(こじり。石突)に丸みがあるものが初期型とされ、年代が下るほど造りが簡略化されていく傾向があるとされます。鍔に湾曲のない直線状のものや、刀身に夜戦用の黒染めがないものが初期型とも言われますが、初期のものにもその例が見られるので、一概には言えないようです。ただ、物資不足となった大東亜戦争末期のものは明らかに品質が下がり、木製の鞘や刀身に溝がないものも現れ、その鑑定は容易です。なお、刃は刀身先に19センチのみ付けられ、刀身鍔元に工廠印、柄頭にも製造番号や工廠印が付けられました。装着可能な銃は、三十年式の他、三八式歩兵銃・三八式騎銃・九九式小銃・九九式短小銃・イ式小銃・九六式軽機関銃・九九式軽機関銃・一〇〇式機関短銃等があります。その形状から、部隊内で「牛蒡剣(ごぼうけん)」と俗称され、また鍔が直線状のものは九九式銃剣と呼ばれることもあります。

四四式騎兵銃剣と二式銃剣

明治44(1911)年には、三八式騎銃をより騎兵用に特化させた四四式騎銃が制定されます。その銃身には折り畳み式で錐型の刺突用銃剣が装備されますが、容易に取り外して単独使用することは出来ませんでした。 大東亜戦争開始後の昭和17(1942)年には、三十年式銃剣の派生型で短銃剣の二式銃剣が制定されます。全長が32.3センチに短縮され、長さが邪魔となる空挺部隊(落下傘部隊)用の二式小銃や、一〇〇式機関短銃等で用いられました。基本構造は三十年式と同じで、全長の短さと、鍔が銃身穴側のみにのびていたことが特徴です。なお、一〇〇式機関短銃での使用の際は一〇〇式銃剣と呼ばれることもありました。

旧陸軍銃剣の終焉とその影響

戦況が悪化した大戦末期には、小銃共々、銃剣の質も低下します。そして、昭和20年8月の敗戦により、陸海軍とその兵器諸共、廃滅することとなりました。しかし、戦後もその設計思想等は自衛隊装備に引き継がれます。 薙刀のように使用することの出来た旧陸軍の銃剣は、その訓練を基とした銃剣術を生みました。古来の槍術を採り入れて日本独自の銃剣術に発展したそれは、木銃を利用した競技となり、軍隊内や退役軍人の間で大いに行なわれ、戦後の銃剣道へと繋がります。 また、銃剣は陸軍が開発しましたが、時代を下るごとに陸戦の需要が増した海軍にも供与され、同軍陸戦隊等で盛んに用いられました。

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