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マイセン(Meissen)の買取実績

 
【強化買取】マイセン(Meissen)の強化買い取りを行って…

※買取商品の状態によって価格は変わりますので詳しくはお問い合わせください。

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遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
生前大事にされていた形見の品など、無暗に手を付けるのは故人に対し申し訳ないと、処分するにもなかなか手が進まない場合もあるでしょう。

浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

そんな悩みの種の「残地物」を浪漫ドロップでは丁寧に選別・査定させて頂き価値を見出し高価買取しております。
旧家・古民家、蔵の残地物でお困りの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
家屋や蔵を解体するご予定がありましたら、何も処分しない状態で取り壊す前にぜひ、浪漫ドロップへご連絡下さいませ。

洋食器を知る~ マイセン(Meissen)~


欧州磁器先駆のトップブランド

マイセン(Meissen)とは、ドイツ東部ザクセン州の州都ドレスデン近郊のマイセン産の磁器で、当時の領主により18世紀初頭に開窯され、今なお生産が続けられています。ヨーロッパで最初に硬質磁器の製造に成功し、東洋風の意匠「シノワズリー」や日本の柿右衛門(かきえもん)風、独自の意匠「インドの花」や、染付(そめつけ)「ブルーオニオン」等の清雅な作風が特徴で、欧州各地の陶磁に多大な影響を与えました。
元来ヨーロッパには陶器や炻器(せっき。焼締め陶)しかなく、16世紀頃からもたらされた軽く瀟洒な日本や中国の磁器は、たちまち王侯貴族を魅了し流行を生みます。そして、その販売を独占していたオランダへの対抗から各国で模造の動きが起こり、ザクセンでの成功に結実しました。マイセン磁器はヨーロッパの市場を席捲しますが、やがて製法の秘密が漏洩し欧州各地で製磁窯が勃興・成長します。なかでもフランスのセーヴルは軟質磁器ながら最新流行の写実浪漫的なロココ式を採り入れ、欧州の主流となりました。マイセンはそれらや戦乱で打撃を受けますが、他窯の模倣も行ないつつ存続し、19世紀にはその汎用性や新富裕層の支持により活気を取り戻します。以後は優れた芸術家を招聘するなど意欲的な創造を展開し、欧州のトップブランドとしての地位を揺るぎないものとしました。

マイセン磁器の歴史
強健王の野望とベトガーの挑戦

16世紀以降ヨーロッパに美しい東洋磁器の数々がもたらされ、各国の王侯貴族はその収集に力を注ぎます。ザクセン選帝侯アウグスト2世(強健王)もその一人で、銀山収益等を投じてコレクションを成しました。そして、自らその製造を目論み、黄金製造を研究させていた若き錬金術師フリードリッヒ・ベトガーに挑戦させます。ベトガーは何年にも及ぶ研究と、数学者チルンハウスや鉱山師オーハイン等の助力により、1709年、遂に欧州初の硬質磁器(真正磁器)製造に成功しました(チルンハウス先行説もあり)。早速、強健王は翌年マイセンのアルブレヒト城内に王立磁器工場を設けて各国に製磁の成功を宣言し、マイセン窯の歴史を開いたのです。

ヘロルトとケンドナーの活躍

1717年には染付の焼成にも成功しますが、1719年にはこれまでの辛苦のせいか、ベトガーが37歳の若さで死去しました。しかし、1720年にはウィーンの画家ヘロルトが招かれ、絵付技術の基礎が確立されマイセンの価値が高まります。ヘロルトは柿右衛門手や染付の再現・改良に成功し、「インドの花」等の独自様式も生みました。それらはザクセンの特産品となり、大きな利益をもたらします。1722年には強健王の紋章、交差剣マークの使用が許され、以降窯印とされます。1727年にはドレスデンの彫刻家キルヒナーが型師主任に就任、1731年にはケンドナーが入所し、彫刻作品の技量を高めました。特にケンドナーは後に主任となり、躍動感ある白磁彫像等を創造します。

模倣・バロックからロココへ

1733年に強健王が没しアウグスト3世がその後を継ぐと、ヘロルトとケンドナーが牽引する初期マイセンにも変化が見られるようになります。「インドの花」模様も、より自然で細密的な「ドイツの花」等と呼ばれる様式に変わり、男女の戯れを描いたフランスのヴァトー画も導入。1739年には中国染付を独自化した「ブルーオニオン」も発表されました。また、彫刻でもヴァトー画に影響された軽妙・小ぶりの人形「マイセン人形」が作られ人気を博します。絵付も造形も、重厚なバロックや東洋風から、軽快なロココや独自様式への転換が進み、史上最も評価が高い黄金期が創出されました。

停滞と産業革命以降の活況

しかし、1744年以降はプロイセンとの戦争が続き混乱を余儀なくされます。戦後も復興が遅れ、その間台頭した各地の産地によりマイセンは先行的地位を失いました。また新古典主義が勃興し意匠も陳腐化。新風を注ぐため美術学校設立や他産地での研修にヴェルサイユの彫刻家アシエの招聘等が行なわれ、セーヴルやウェッジウッドの模倣も行なわれます。19世紀に入っても停滞は続きますが、1815年以降は鉱山査察官オッペルや技術長キューンの努力によりセーヴルに対抗できる様々な施釉法や技法を開発。産業革命による新富裕層の復古趣味や、ブルーオニオン・マイセンローズ等の使い易さの評価もあり活気を戻します。1865年には生産拡大と近代化のため工場が城の麓に移転。また世紀末にはアールヌーボー(ユーゲントシュティール)様式も導入されました。

20世紀以後の発展

第二次世界大戦後はソ連の管理を受けたのち、1950年に東ドイツ管轄の「国立マイセン磁器製作所」となります。1960年代以降はツェプナーやヴェルナー、シュトラング、シュトレ、ブレッチュナイダーらの芸術家が集い、「アラビアンナイト」等の絵柄を生み新風を吹き込みます。1991年の東西ドイツ統合後は自由経済社会に参入し、21世紀の現在も、手工芸の伝統を守りつつ磁器芸術としての発展を目指し活動しています。

マイセン焼の技法

磁器原料にはカオリン・石英・長石等がありますが、マイセンではカオリンの含有率が65%と、高いことが特徴です。カオリンは近郊のザイリッツにて採掘されています。
成形は手動式轆轤(ロクロ)や蹴(け)轆轤を使用。また、石膏型とそれによる各部の組立式工法もあり、多彩な部品を組み合わせて多種の作品を生むほか、人形では手捻りも行なわれます。絵付は一般的な磁器同様、下絵(染付)と上絵(五彩)の工程があり、複数回の焼成により定着。自然描写を重視している為、多彩な絵付が可能で、それを表現する為の高い絵画技術も特徴です。なお、初期にはエナメル等による彩色もありました。

器種・様式・意匠

マイセンには茶器・酒器・食器・壺・花瓶等のほか人形・彫像・センターピース(テーブル飾り)・時計等の器種があります。その様式・意匠には研磨光沢のある「ベトガー白磁」や「ベトガー炻器(赤色炻器)」、光沢ある淡桃色の「ピンクラスター彩」、白磁に葡萄蔓草・花卉(かき)・薔薇文等の枝葉片を貼り金彩で仕上げたもの、柿右衛門手や花鳥・草花文の染付とそれに金彩を施したもの、明朝風の装飾壺・装飾瓶、線の細い中国風風景や「インドの花」が金彩模様で飾られたもの、繊細な西洋画窓絵があるロココ式や「ブルーオニオン」、セーヴル風の濃紺地等があり、白磁彫像や彩色人形、造花付食器・花器等に、浮彫ある正餐食器「スワンサーヴィス」、器表をガマズミの造花で覆う「スノウボール」等もあります。近年ではツェプナーの浮彫白磁「ホワイトレリーフ」やシュトラングの手捻り人形付飾板「メルヘンプラーク」、さざ波模様が浮かぶ白磁「波の戯れ」等があります。

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