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李朝の買取実績

李朝
【強化買取】李朝の強化買い取りを行っています。

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遺品整理の買い取りはお任せ下さい

ご家族が亡くなり、いざ遺品整理をしようとしても、価値が判らない、物が多すぎてどこから手をつけて良いのか判らないなど、頭を悩ますことが多いですよね。
生前大事にされていた形見の品など、無暗に手を付けるのは故人に対し申し訳ないと、処分するにもなかなか手が進まない場合もあるでしょう。

浪漫ドロップではそんな悩みの多い遺品整理を、遺品整理士の資格を持った担当者がご遺品の買取をさせて頂いています。
故人が大切にしていたコレクションや、お家の家財道具一式は勿論のこと、引き継いだ物の量が多すぎて置き場所に困っているご遺品の数々を、適切に選別させて頂き高価買取いたします。
遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

そんな悩みの種の「残地物」を浪漫ドロップでは丁寧に選別・査定させて頂き価値を見出し高価買取しております。
旧家・古民家、蔵の残地物でお困りの方は、お気軽にお問い合わせ下さい。
美術品や骨董品の買取は勿論のこと、格子戸や帯戸、藏戸などの建具類まで、家屋や蔵の中のお品物を無料査定・出張買取致します。
家屋や蔵を解体するご予定がありましたら、何も処分しない状態で取り壊す前にぜひ、浪漫ドロップへご連絡下さいませ。

陶磁器を知る~李朝(りちょう)~


和に適い日本窯業も変えた半島陶磁

李朝とは、かつて朝鮮半島に存在した李氏朝鮮王朝(1392-1910)のことで、そこで作られた陶磁器のことも指します。当初は前王朝の高麗青磁や中国陶磁を継承した端正な粉青沙器(ふんせいさき。粉青)が作られますが 、やがて白磁や青花(せいか。染付)が主流となると闊達さや独自性も有します。そして素朴で力強い粉引(こひき。粉吹)も生み、桃山期(16末~17世紀初期)以後の日本の茶陶(ちゃとう)や窯業にも影響を与えました 。  李朝陶磁は、高麗王朝(918-1392)で花開いた陶技を基に発達します。終始、隣国の中国陶磁の影響下にありましたが、やがて朝鮮独自の表現も形成されてゆきました。 華やかな青磁中心の高麗とは異なり、李朝では儒教思想や士族社会の影響から簡素で実用的な李朝白磁が中心となります。一方、粉粧灰青沙器(ふんしょうかいせいさき)の略である粉青は、陶土生地を白泥で覆う白磁や青 花の代用的技法で、初期に流行しました。やがて白磁が主流となると、一時民需用として粉青の一種、粉引の生産も盛行します。  それらは、隆盛した侘び茶に適う茶器「高麗物」として桃山期の日本でも流行し始めます。そして、豊臣秀吉の文禄・慶長の役(16世紀末)に伴う朝鮮陶工の渡来により、その技や作風が移入され、茶陶はおろか日本の窯 業自体も発展させることになりました。

独創性ある粉青沙器の登場と衰退

14世紀末、高麗末期の混乱を収めた李成桂(り・せいけい)が新王朝・朝鮮を興します。儒教理念を統治の柱に据え、士族中心の文化が栄えた李朝では、質実高雅な白磁が求められますが、当初は粉青による代用が行なわれ ました。 最初期は、高麗青磁同様、器面の彫り跡に色土を充填して模様とする象嵌技法による「象嵌粉青」や、花形の印判跡に充填する印花(いんか)技法による「印花象嵌」が行われます。意匠や器形は中国陶磁に近く、高麗末期 に全国へ拡散した窯で作られたとみられます。 15世紀初期には模様周囲の白化粧を掻き落とす「掻落粉青」が現れました。依然中国陶磁との近似が見られますが、表現に自由な趣が加わり、同世紀後半には陰刻模様を施す「線刻粉青」へと移行して更に自由さが増します 。また、白磁主体の官窯が成立し、中央の統制から離れて自由度と独創性が増し、白土の刷毛目を模様とする大胆な「刷毛粉青」や鉄釉で自在に模様を描く「鉄絵粉青」等の野趣あふれる独自表現も現れました。
そして、16世紀には白土に器胎を浸した「粉引粉青」が登場し、無駄のない力強い造形が日本の茶人達に注目され、李朝陶磁の注文生産や国内生産への契機となります。しかし、朝鮮本国では白磁の普及により粉青系の陶器 は同世紀末頃までに廃れました。

御器・祭器から発達した李朝白磁

白磁は高麗期から生産されますが、李朝期にその地位が上がり本格化します。15世紀初期の4代国王・世宗(せいそう)の時代には王の食器である御器(ぎょき)を白磁に定め、同世紀後半には御器専用の官窯が開かれ、より本格的な生産が始められました。 なお、14世紀末から16世紀までの李朝前期の造形は中国的で、色は15世紀が純白で16世紀は灰白色気味となり、御器らしい格調の高さを有しました。17世紀から18世紀前半までの中期には、戦乱と宗主国・明の滅亡により自文化への関心が高まり、儒教思想の深化と一般化も相まって、儒教祭祀用の祭器が盛んに作られます。造形的特色は面取り・板造りによる鋭さや乳白の釉色でした。また、情勢によりコバルトの輸入が滞り、青花に代わり鉄釉の絵付け「鉄砂(てっしゃ)」が盛行し、17世紀後半には地方にも広がり自由奔放な絵付けが行なわれました。18世紀前半には青花が復活し始め、秋草手(あきくさで)と呼ばれる雅趣ある作風が出現。また、祭器にも高い脚台など施す変化が現れ、紅色が部分彩色された辰砂(しんしゃ)白磁も地方民窯で流行しました。18世紀後半以降の後期には、官窯が分院里(ブノンリ)に固定され、安定した生産環境を得ます。官窯作品は前代の風雅さをとどめますが、19世紀になると清朝磁器の影響を受けて、辰砂・鉄砂・青花の併用や陽刻・透彫等 の多彩な装飾が行なわれ、文人趣味による文具等、器種も様々作られました。また、独自の諧謔的な文様や画も官民共に盛行します。

茶陶「高麗茶碗」としての李朝

日本の茶の湯は、中国の宋より喫茶が伝わる13世紀に始まり、当初は大陸製の唐物茶碗が使われましたが、侘び茶が流行する16世紀以降は、その茶風に適う和陶や李朝製の「高麗茶碗」が茶器に見立てられ、珍重されるよう になります。 高麗茶碗には青磁・白磁・粉青があり、狂言袴(きょうげんはかま)・雲鶴(うんかく)・三島・刷毛目・無地刷毛目・粉引・井戸・井戸脇・斗々屋(ととや)・蕎麦・玉子手・柿の蔕(へた)・熊川(こもがい)・呉器・ 雨漏(あまもり)・堅手(かたて)・小貫入(こがんにゅう)・割高台(わりこうだい)等、日本独自の名称がつけられました。 また、江戸初期(17世紀)になると、日本からの注文を受けて朝鮮で焼かれた御所丸(ごしょまる)・伊羅保(いらぼ)・彫三島・金海等が現れ、釜山に開設された対馬藩窯の御本(ごほん)や、渡来工による日本国内での 生産も始まります。

意匠・器種等

象嵌粉青から始まった李朝陶磁は、主体が白磁に移行するに伴い絵付けも工夫されます。主に青花・鉄砂・辰砂が使われ、中国の五彩や日本の色絵のような絢爛多彩な絵付けは採用されず、青花を基本に他の色は部分的に用 いることを貫きました。 表された意匠は、草花・魚文・雲龍文・鳥獣・雲鶴・吉祥文・三果・唐草・山水等で、官民共に諧謔さや大らかさも発揮されました。 器種は、丸壺・長壺・四耳壺(しじこ)・八角壺・扁壺(へんこ)・俵壺(ひょうこ)・瓶(へい)・土瓶・角瓶・鉢・皿・盤・祭器・簠(ほ)・簋(き)・文具・角杯(つのはい)・芋頭(いもがしら)等々あり、中国風 の端正な器形を基としながらも、ひずみやゆがみ、算盤玉形などのような力強さも有して、特有の魅力を放ちました。

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