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軍帽の買取実績

軍帽
解体前の古い実家から出た日本軍の軍帽(軍服)
軍帽
解体する蔵に眠っていた祖父の遺品の古い飛行帽(旧日本軍)
軍帽
骨董旧日本軍・90式当時物鉄帽

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遺品整理の買い取りはお任せ下さい

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遺品整理にて売りたい骨董品や美術品、故人が大切にしていたお品物がありましたら、浪漫ドロップへお任せください。

家屋・蔵の解体時の買取はお任せください

ご空き家やリフォーム・建て替えで古くなったお家や蔵の解体をする際、処分に困るのが解体業界で「残地物」と呼ばれる廃棄物です。
解体業者さんに処分を依頼すると追加料金がかかるので、解体費用より処理費用の方にお金がかかってしまったり、本来は売れる物でも処分費用がかかってしまったり、お客様が損してしまうケースが多いです。

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軍装品を知る~軍帽(ぐんぼう)~

旧大日本帝国陸海軍制帽

軍帽とは軍隊の構成員(軍人)の制服の内、頭部に被る帽子(制帽)類をいい、特に近代以降のものを指します。日本のそれは、幕府や各藩が近代洋風軍備に刺激されて幕末導入したものが起源で、明治以降は国軍の装備として統一され使用と改変が続けられました。広義では礼帽から鉄帽等の様々な軍用帽、狭義では軍装等で着用するものを指します。  ここでは、国軍が創設される明治初年から昭和の敗戦まで使用された旧帝国陸海軍の各種軍用帽について解説します。  旧陸海軍の軍服には着用状況により大礼服(たいれいふく。正装・正服・正衣)・礼服(礼装)・通常礼服(通常礼装)・軍服(軍装)・略服(略装)・夏服等の種類があり、軍帽もそれに合わせて用意されました。大礼服は最上級儀礼の宮中参賀等、礼装は宮中晩餐会等、通常礼装は宮中午餐会等、軍装は観兵式・演習等、略装はそれ以外で用いられます。 軍帽の着用対象者は、陸軍では憲兵・屯田兵を含む兵科将兵のほか、軍医・薬剤・獣医・法務・経理(監督・軍吏)・軍楽等の各部将兵に、陸軍諸学校生・軍属等で、海軍では兵・海兵・航空(飛行)・整備・機関・工作(船匠)・法務・主計・技術(造船・造兵・造機・水路)・軍医・衛生(看護)・薬剤・歯科医・軍楽等の各部科に、海兵団・海軍予備員・海軍諸学校生・軍属・傭人等々、旧陸海軍内の広範に及びました。

陸海軍軍帽のはじまり

旧陸軍初期の軍帽は、頂部がすぼまり前傾した紺か赤の絨(じゅう)製のもので、革製の眉庇(まびさし)に前章(帽章)や頂部の星章等が付いたフランス式のものでした。それは、明治3(1870)年に各藩兵に示された「陸軍徽章」によるもので、国軍軍帽の原型となりますが、正略等の種別はありませんでした。 旧海軍初期の軍帽は、将校・下士用は羅紗(らしゃ)製の低筒型で、眉庇に前章や金線が巡る周章(横章)が付き、卒(兵)用は眉庇のないペンネント(帽帯)付きでした。それらは、共にイギリス式のもので、同じく明治3年に初めて公布された「海軍服制」によるものでした。同4年には、正衣・常衣(礼装)・略衣(軍衣)の区別も定められ、ナポレオン帽とも呼ばれた山型黒天鵞絨(くろびろうど)製の将校用正帽も採用されます。

原点となる陸軍6年制・海軍8年制

明治4年に鎮台(ちんだい)が創設され帝国陸軍が発足します。そして同6年に「陸軍武官服制」が布告され、将校と下士卒の区別が明確になりました。将校用は3年制同様で、毛製の前立(まえたて)をつけて正帽とし、略帽は紺絨製で頂部の径が大きなものとなります。また下士卒用は、黒や赤革製のシャコー(高円筒)型となり、赤や黄毛の前立をつけて正帽とし、略帽は将校用に似るも眉庇がない(翌年追加)ものでした。これらの略帽は、軍装用軍帽の原点となります。 海軍でも同年に「海軍武官服制」「海軍下士官以下服制」「海軍文官服制」「海兵隊服制」が公布され、軍服軍帽が一通り整うことになります(同8年布告「8年制」)。山型正帽に金銀の飾章等が付加されて将校用の大礼帽(海兵隊はシャコー型)とされ、以前の正帽型が常服・略服用の「常帽」となりました。また下士以下の礼帽は黒か白の羅紗製の縁付き水兵帽、常帽は紺羅紗に縁なしの水兵帽でした。

陸軍のドイツ化と海軍軍帽の完成

明治8年、陸軍では兵科以外の各部の定色が定められ、周章の線により将官・差佐尉官が区別。また、紺絨製低筒型の職工略帽も制定されます。そして同19(1886)年には軍制のドイツ化に伴い、軍服のドイツ化が大々的に行われ、軍帽もドイツ式に変更されました。将校正帽は第一種帽と改名され濃紺絨製で丈高となり、前立は直立し頂部の星は全て1個に。略帽は第二種帽となり、同じく硬質で丈高化し、周章は将官・近衛が緋絨、佐尉官が黄絨、各部はそれぞれの定色とされ、下士卒用もほぼ同様の変更が行われます。 海軍では明治9年に麦稈(ばくかん)製の夏略帽が定められ、のちに棕櫚製となります。同16年には将校用軍帽が紺羅紗製で頂部径が大きく庇付きのものとなり、のちの原型を成しました。また、翌年にはヘルメット式の夏略帽も制定。下士の軍帽は前章付きの将校同様となり(全下士同様は翌年)、兵は庇がない水兵帽の帯に艦名等が金字で記されます。

陸軍軍帽の完成その他(明治後期~大正)

日露戦争中の明治38(1905)年、「陸軍戦時服制」(陸軍軍服服制)が公布され、濃紺服地に代わり戦地で目立たないカーキ色服地が兵科・将兵の区別なく採用されました。下士以下の正装・軍装も一本化。敗戦に至るまでの陸軍軍服・軍帽の基本形が完成します。第二種帽の周章は全階級緋絨となり、頂部の周囲にも緋の喰い出しが付けられました。また、同45年には将校用第一種帽の頂部が広く、沈降した形状となり、大正11(1922)年には金銀で色分けされていた兵科と各科の帽章・顎紐ボタンが金色に統一されます。 海軍では、明治37年に将校軍帽の金糸織の周章が廃され、将佐尉の区別なく全て黒毛線が付けられ、各科の周章上下には識別線が付きました。そして夏略帽が廃止され、同40年には下士軍帽の前章が全て、索環内に錨と桜を配した打ち出し金属製となります。

続発する事変、大戦への適応と終焉

明治大正と幾多の戦役を経て旧陸海軍の軍帽は実用や時代に適う体裁を整えましたが、昭和に入ると続発する事変に対応した供給性と運動性重視の服制改正が行われます。 陸軍では、昭和9(1934)年に庇の短い運動帽に似た略帽が採用されます。「戦帽」「野戦帽」「戦闘帽」等と呼ばれたそれは、将校・下士兵共通で、茶褐絨か同色布の生地に黄絨か黄布の星型帽章(近衛は下地付き)、黄褐革等の顎紐が付きました。また、同13年には将校用第一種帽の頂部星章が金線に統一されます。 海軍では、昭和12年に陸軍の戦闘帽同様の略帽が制定されました。生地は濃紺布と白布に陸戦隊用の褐青(かっせい)色布があり、将校用は周章線が2、下士用は1本付きました(同18年、各色それぞれ冬・夏・略装用に制定)。大東亜戦争中の同17年には将校軍帽の識別線が廃止され、下士軍帽の前章が将校同様の錨と桜・桜葉柄の打ち出し金属製となります。また、水兵帽の艦名等が防諜理由から「大日本帝国海軍」等に改められました。 そして、昭和20(1945)年8月。日本の敗戦と共に、軍帽もその役割を終えたのです。

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